■ 音のない世界








たすけて





たすけて





僕の頭の中から



あの記憶を消して



あの悲鳴を消して



あの涙を



あの悲しみを



色を失っていく目の色を



儚げに微笑む顔を



残された言葉を



失っていく体温の感触を



手に残る衝撃を



僕を濡らす紅を



僕が犯してしまった罪を





すべて



消して



消えてしまえ



自分自身が


塵のように消え去ってしまえばいいのに


どうして僕は


未だにここに立っているんだろうか


一つずつ何かを失えば


最後には何も残らなくなるのだろうか


居場所をなくして


大切なものをなくして



声をなくして



コレは全て



あぁ・・・・


これは、


僕が犯してしまった罪の代償なのかもしれない





僕の犯した罪







それは





目の前に広がる








黒い海













■□■□■□■□









「まだ見つからないのか?」

暗く冬の雨の中を黒い高級車が疾走していく
その後部座席に男が上でと足を組み、
幾分長い前髪をたらしたその奥の瞼を伏せ運転席に座ってる男に声を掛けた

助手席に座る男はチラリとミラー越しに後ろの男の様子を伺い、
その視線を隣に移す
ステアリングを握るその指は何かのリズムを取るように、
小さくトントンと弾かれていた
その指のまま

「ご報告が遅れましたが、今その場へと向かっている最中です」
「・・・・・・・見つかったのか?」
「はい、つい先ほどですが」
「それで?」
「・・・・・残念ながら、としか言いようはアリマセン」

淡々とした口調で報告する隣の男にある種の畏怖を覚えながらも、
助手席の男が続けた

「氷企の親父の外子の所です」
「誰だ?」
「それが・・・・・」

男が言い淀むと、
運転席の男が続けた

「未確認の一人です」
「名も分からないか?」
「一応は身辺だけは調べてありますよ」
「清水裕美子(しみず ゆみこ)、職業は飲食店勤務、子は一人15になる男の子です」

続けて手帳を広げ、
簡単に書き記したものを読み上げた

「名前は日岐夜人(ひき ないと)、今年地元の私立高校に入学」
「日岐?」
「はい、氷企の親父のお孫さんとして名を」
「・・・・・・父親は分かっているのか?」
「清水敏明(しみず としあき)、建設会社勤務、2ヶ月前現場の落下事故で死亡」
「・・・・・・・」

それまで黙って聞いていた男が組んでいた足をゆっくりと下ろし瞳を開いた
黒曜石のような冷たい光を帯びた瞳が現れる
たった瞼を開いただけで、
その場の空気がキンと音を立てて冷えたように感じた



後部座席に座る男の名は

威道 浮津-いどう うぎつ-


総組員数一万に届く巨大組織、双頭会-そうとうかい-
2つの組織からなる



右の竜を蓮水-はすみ-

左の竜を氷企-ひき-



その左の竜である【氷企組】傘下
威道組の組長がこの冷たい眼差しを持つ男の肩書きだ

「あとどれくらいだ」
「着きました」

その言葉とともに車が止まる
威道は自分で扉を開け雨に濡れるのを気にすることなく外へと出た
それに慌てたのが助手席に座っていた男で、

「組長っ濡れます」
「いい」
「走ればずぶ濡れにはならないよ」

運転していた男も傘をささずに降り、
軽い足取りでエントランスへと走った
そこには一人の男が立っており、
威道が近づくと軽く頭を下げる

「こちらです」
「中の様子はどうだった南?」
「・・・・片山さんも来はったんですか?」

軽く驚いたような声に片山と呼ばれた男は笑って頷いた

「ま〜ね、向こうの仕事は片付いたし」
「そうっすか・・・・あ、此方です」

威道の視線に気付いて慌てながらエレベータのボタンを押す
待たずに扉が開き、
全員が乗ると5階を押し動き出す

「随分と良いところに済んでるんだねぇ」
「夫の方が給料がずいぶんと良かったようですね、働いていた宮元建設と言ったらここの所景気が良かったようですし」
「宮元?」

威道は、その名前にふと顔を上げ
答えた男が無表情の顔をいくぶん張り詰めさせ頷いた

「はい、木尾田組が経営してる宮元にいたそうです」
「・・・・・・」
「氷企の親父、何にも言わなかったのかね?」
「そのようですね」

木尾田組は氷企組傘下だが、
その悪辣なやり方は傘下内でも疎まれている組だった

「確か代替したよね?」
「はい、一年前に木尾田(きおた)さんが撃たれて当時ナンバー2だった水橋(みずはし)さんがその座に納まっています」
「あの木偶の坊に組が仕切れんのかね?」
「今現在潰れてはいてへんようやし、できてるんと違いますか?」
「しかし、代替してからですね・・・・悪い噂が立ち始めたのは」

3人が話していると黙って聞いていた威道が顔を上げ壁に預けていた身体を起こす
それと同時に箱の動きは止まり扉が開いた

「坂上、その辺の動き調べておけ」
「分かりました」

後に続きながら頷く

「525号室です」
「・・・・・・・」

南の言葉にそのドアの前に立ち止まる
シンと静まり返ったその場は
確かに人の気配はすれどあまりに静まり返っていた
威道はその扉を睨むように動かずにいる

「・・・・・・・」
「どう、いたしましたか?」
「・・・・・・片山、他に上っている事はあるのか?」
「そうですね〜ココ2週間は新聞がこの状態のまま、裕美子と言う女は仕事にその頃から顔を出していない」
「他は?」
「息子の方も学校に来ていないそうですよ」

淡々と話す内容に眉間のしわが深くなっていく
ドアノブに手をかけたまま
訝しげにその様子を坂上と南が見詰めた

「秋山に連絡をつけておけ」
「秋、山さんにですか・・・・??」
「極秘にだ、直通に繋がるように」

秋山とは、
威道の昔ながらの友人にして現警察庁エリートの警官だ
今、長官の座に一番近いと言われている男である

「わかりました、」

その場で携帯を開いて掛け始めるのを見て

「開けないのですか?」
「お前は分かるか?」
「えぇ・・・・・・異様なほどの血の臭いがしますね」
「血と言うよりは、」
「腐臭と言ったところでしょう」

そう、
まだ微かではあるがこの扉に近づいた瞬間からフと鼻を掠める血の臭い
ここまで感じるほどだと
夥しい量だと想像ができる
この扉の向こうにはそれがあった

「きっと氷企の親父もココでしょうね」
「・・・・・姿を消して一ヶ月か」

双頭会の氷企の組長が消えたと連絡が入ったのが、
ちょうど一ヶ月前である
連絡を受け探すようにと言ってきたのが蓮水の組長だ
その足取りは一切なく
煙のように消えたのである

2週間を過ぎた辺りから生きていないだろうとは予想していた
しかし探さないわけには行かず
今この場にいるというわけになる
厳しく
それでも優しくあった氷企の親父の顔を思い出し
軽く瞑目してから扉を開ける

「・・・・・・・」
「っ・・・・・な、なんっすか・・・・これ・・・・・」
「血の海?」
「かっ軽く言わんといてくださいよ!」
「だって聞くから」

身に纏わり付くようなその強烈な臭いに南が口を手で覆いながら小さく叫んだ
それに肩を竦めて笑いながら言う片山によけいに喚く
ソレを背にしながら暗い廊下を進んだ
フローリングの木目は一切見えずに
その奥のリヴィングに続いているであろうドアガラスの下からドクドクと溢れ出るように流れた痕跡
もう乾いてしまっているソレは黒く変色してしまっていた

「組長、俺から先に入ります」

今までふざけていた片山が、
俺の背後から先ほどから変わっていないトーンのまま声を掛けてくるがソレを無視して
その扉を開けた

そこはもう、
人の住む所ではなかった

「ぐぅっ・・・・!」
「南、吐くならあっちね?そこにホラ、トイレあるから、行って来な」

後から続いて中を見た南は言われるがままバタバタと駆け出して行ってしまった
黙ってその部屋を眺める俺の隣に立って

「何人分ですかね、コレ」
「一つ一つ数えてみたらどうだ」
「イヤですよメンドクサイ・・・・・ソレに原型とどまってるように見えます?」

ひょいっと方眉を跳ね上げさせて、
足元に転がる人の眼球らしきものをつま先で転がした

片山の言うように、
そこには過去・・・・・人であったであろう塊が、
所狭しと無造作に転がるようにあった

目の前には左か右か分からない指が数本
右に向ければ足
左に向ければ肩から肘までの腕
遠くには足首
その横に太ももらしきもの

その殆んどが骨になりつつあるかのように白い物をむき出しにし、
ドロドロと溶けたようにフローリングやカーペットにこびり付いていた

「まだ原型らしきものがあるのは冬だからでしょうね〜コレが夏だったら、もっと発見も早かったもしれませんね
「・・・・・・あれを見ろ」
「ん・・・・・・あぁ・・・・氷企の親父の愛用の眼鏡をつけた頭蓋骨?」

顎で指した先に、
まるで生け花のように飾られた花の如くいまだ筋肉組織を残す頭部があった
白い花瓶であったそこに突き刺すように
その隣には手首が置かれている

「悪趣味ですね」
「イカレテんだろ、コレやった奴は」
「俺だったら、もっとこ〜無造作にしないで並べるのに」
「お前の意見は良い、何かあるか調べろ」
「はいは〜い・・・・南〜吐き終わったか〜〜」

そう片山の張り上げた声に
廊下の奥から盛大な悲鳴が聞こえてきた

「あっちに何かあったのかな〜」

笑いながら出て行く後姿を見送って下を見下ろした

イカレてる

むしろ
人間じゃない人間の仕業
自分のすることが可愛いものに見えてくる

深まる眉間のしわのまま
黒く変色したそこを凝視した
重なるようにある
いくつもある靴跡
形をとどめている物に足を寄せ
ソレが男のものである確認する

「・・・・・異常者の犯行とは違う、と言うことか・・・・・」

人を殺して楽しむ輩の仕業ではない
何か、
自分達と同じ系統の人間だろうと予想がついた

辺りを見渡して
薄く開いた扉があった
足元のモノを踏まないようにその扉に近づく

そこにも
靴跡がある
しかし、
同じ大きさのモノが何度も往復するようにあるだけで
泥のように煤けた足跡まで合った

奥へ扉を押して
中へと入る
カーテンの締め切られたその部屋は
調べにあった一人息子のモノであろうと見て分かった
窓際奥の壁に横付けされたベッド
その隣にある教科書の散らかった机
反対側の壁に備え付けられた本棚には本が詰め込まれていた

その部屋だけは血に塗れてはいなかった
ただ赤黒い靴跡があるだけ

「・・・・・・・」

その部屋を一度ぐるりと見渡してから
奥のベッドへと視線を向けた
薄く盛り上がるそこに
この主であった少年がいるのであろう
隠されたようにある中は
きっと後ろの部屋のようなものかと思うと
無意識に息を吐き出していた

そっと布をとって
ゆっくりと
広げていく

そこには

「組長〜風呂場に清水由紀子が首と足と手だけ出した格好でいました。しかも全部切断済み、よっぽど好きみたいですね〜」

背後から声に振り返ることも出来ずに目の前のモノに驚愕する
それに気付いたのか、
片山は首を傾げながら近づいてきた

「しかも胴体はトイレにありました、南の悲鳴はソレが原い・・・・・・ありゃ・・・・」

途中で言葉を切って間抜けな声を上げると、
片山にしては珍しく驚いた表情を顔に浮かべた

「コレはコレはコレは・・・・・はっきりと原型がありますね」
「死んでるように見えるか?」
「イヤ、生きてるように見えますね・・・・・日岐夜人くん、でしょうか?」
「しかいないな」
「ふむ、」

顎に手をやって考える素振りを見せる
その表情に真剣さがないのは考えても無駄だと思っているからだ
丸まるようにいるその身体は
服や見える顔その他が血を浴びたように黒くなっていた
白く死人のような肌は骨が浮き出て
カタカタと震えている

「組長」
「あ、坂上く〜ん気持ち悪くなってない?」
「心配ご無用です・・・・それより秋山さんに電話が繋がっています」
「貸せ」

視線は目の前の子供に寄せながら腕を後ろに回すと入ってきた坂上が
その手に黒い機械を乗せた

「お前の所の信用できる奴を数人、今から言うところの住所によこせ」
『挨拶もなしにいきなりソレか?』
「んな時間ねーから言ってるんだ、できるのかできないのか?」
『相変わらずだな・・・・・30分で着くようにする、で何がある?』
「一人の女のバラバラになった死体、」

向こうの空気が変わった

『・・・・・他には?』
「氷企の親父の死体がある・・・・・識別できるものはしておけ」
『いなくなったとか言っていなかったか?』
「どこから聞きつけた?」
『俺にも筋はあるんでね、何があった?』
「・・・・・まだ何も」
『2時間後にもう一度連絡する』

そう告げられて返事を返すことなく回線が切られた
閉じた携帯を坂上に渡す

「出るぞ」
「そちらは、どうしますか?」
「このままにして置くにワケにもいけませし〜連れて行きます?」
「話しを聞くには良いだろう」
「南ーーーーいつまでヘバってんの!車まわしてこ〜〜い」

首だけを後ろに回して声を上げると、
死んだような声が返ってきた

「んーー坂上くん、転んで階段から落ちて死んだら厄介だから一緒に行ってきて」
「分かりました」

頭を下げて部屋を出て行った姿を見送ってから
子供を抱き上げた威道の姿を見上げる、
この日二度目の片山の目を見開いた表情が見られた

「・・・・・・・・・」
「・・・・何だ?」
「あーいや、何でもないですよ、はい・・・・ところで荷物どうします?」
「下手に持ち出すな、このまま行くぞ」
「りょ〜かい」

抱き上げた子供は、
猫のように重さを感じなかった
調べに聞いた年は確か15、
しかし、
腕の中にいる子供は見るからにそれ以下、
自分の半分もない手首や腕、
小さな頭
薄い胸
小さすぎる身体
ざらりと不揃いの髪の下の瞼は生気を失い隈が浮いていた

想像もできないほどの事をこの子供は見たのだろう
この小さな身体には
この薄い胸に
抱えきれないほどの地獄を
見せられたのだろう

そう思うと
胸が締め付けられるように軋んだ
あまりに苦しいその軋みは
震えが来るほどで

きっと、
この子供は壊れてしまっているだろうと・・・・・
自分が見てきたことを聞き出すのは無理だろうと、
分かっていても

どうしてだろうか、
今にもその命の火が消えてしまいそうなほど白くなった顔を見たとき
この軽すぎる小さな身体を腕に抱いた時から
それでも良いと、
思ってしまった




締め切られた
布とガラスの向こうで



雨の振る音が聞こえている